「筆の都」熊野町の「筆塚」

「筆の都」と言われる広島県熊野町には、八百年前に紀州熊野より勧請され、町名の由来にもなっています熊野本宮神社とともに宇佐八幡宮より勧請されや約千百年の歴史を誇る榊山(さかきやま)神社があります。
この神社は町の中心部に位置しており、広大な敷地内に両神社の他に四社の摂末社もあり、我が社からも近く、昼休みに歩いて訪れて境内を散策するにはちょうど良い距離と広さです。
その榊山神社の境内に「筆塚(ふでづか)」という大きな石碑があります。

1965(昭和40年)9月に「筆精」を供養するため建てられたもので、毎年秋分の日に行われる「筆まつり」では、これまで使用してきた筆を心から大切に思う気持ちと同時に、筆の毛となってくれる動物の霊に感謝し、この塚の傍で役割を終えた筆を焼いて供養します。

この石碑に揮毫されている「筆塚」の文字は、広島県出身の池田勇人元首相の肉筆を刻んだものです。昭和30年代の後半に所得倍増計画を打ち出して日本の経済成長を牽引した人として有名ですが、日本の書道の歴史にも重要な役割を果たしました。
戦後GHQの教育方針で習字が義務教育から外され、熊野の筆の業者を含め文房四宝の生産者にとっては死活問題でした。時に熊野町長や熊野筆事業協同組合理事長を歴任した我が社の三代目社長(現社長の伯父)の城本勝司が、地元広島選出で中央の政治・行政に力のある池田氏にご協力をお願いして、多方面に働きかけを行って頂き、昭和43年の文部科学省の小学校学習指導要領の改訂で習字が必須科目になることが告示されるに至りました。
この筆塚ができた時には池田氏は既に病に倒れ亡くなっておられましたが、この「筆塚」の揮毫は今尚残っております。

そのような歴史を手繰りながら境内を散策すると興味深いです。この「筆塚」の揮毫を近くから見ますとなかなか胆力のある字です。書は人なりという言葉がありますが、まさに日本の政治経済を牽引した池田氏の力強さが文字に現れています。